北海道百五十年:負の史実も直視する必要があります

北海道命名150年で種々の記念事業が行われます。しかし開拓使と屯田兵の正史だけでなく、囚人・タコ・強制連行などによる強制労働や、先住者であるアイヌの生存権侵害など、負の史実も直視する必要があります。

カムイチェップノミ

カムイチェップノミ(豊漁祈願式)参加を披露した真下紀子議員は、2018年3月14日の予算特別委員会で、「北海道命名150年というが、先住者にとっては苦難の歴史でもあった」と道の歴史認識をただしました。道は「アイヌの人たちは、国の施策で伝統的な生活や生産手段を失って貧困にあえぎ、いわれのない差別を受けてきた」と答弁しました。
「2009年の国連先住民族宣言、国連決議を経てアイヌ民族をとりまく社会情勢が大きく変化した」と指摘し、その認識を2018年度から編さんが開始される『北海道史』に反映させるよう求めました。知事は「最近の研究成果も盛り込みながら新たな編さんに取り組む」と答弁しました。

マレク(銛)漁法

佐野弘美議員は、3月13日の予算特別委員会で、漁猟と交易を生業にしてきたアイヌが、鮭を禁漁にされ農業を強制された歴史に触れ、「アイヌの伝統漁法を伝承すべき」とただしました。道は「儀式や漁法の伝承などによる特別採取許可数は徐々に増えている」「申請手続きなどに必要な助言を行っていく」と答弁しました。(注=アイヌが鮭漁に用いる独特な銛(もり)がマレクです)

 

コトニ(窪地)コタン

札幌市北区には、アイヌ迫害の象徴的空間・偕楽園緑地(札幌市北区北7西7)があります。
植物園や偕楽園の湧き水(メム)を源流とするサクシュコトニ川には、無数の鮭が遡上しました。その干物(トッパ)を年中食していたアイヌは、すぐ下流に集落を作っていましたが、開拓使は鮭を禁漁にし、この地に孵化場を作りました。生産手段を奪われたたアイヌは、集落(北8西8のコトニコタン)から立ち退きを強いられ、茨戸や生振に移り農業や漁業に生業を求めました(北海道新聞201/9/4)。
大原専門学校の南東角に建つ記念碑・偕楽園圖(明治15年圖)には、開拓使が建てた孵化場、試験場、清華亭とともにアイヌ家も描かれていて、鮭をめぐるドラマを雄弁に物語っています。

 

質問する 佐野議員 13日